日本について その1

しばらく更新を疎かにしてました.

いろいろ普段考えていることがあっても,それを言語化してまとめるというのは意外とエネルギーのいるもの.

最近日本のことについて考えていた.ふと考え出したのは11月末にアメリカに行ってから.たぶんそこからちらほら.

その時メモとして残していたことを引用します.

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何日かアメリカで過ごす中で日本のことを考えて,アメリカとはどうも違う日本的な幸せがあるんじゃないかと思うようになった.そもそも幸せに対する価値観は人によって違う訳で,それをいっちゃ話はおしまいな訳なんだけど,

アメリカにいる時にふと思ったのが,「共感」足りていないなって笑

何も言わなくても共通化されていることが多くて,暗にお互いのことを察しながらコミュニケーションが進行しているあの感じが欲しいなと.わかりあえたら強いみたいな.

数少ないボキャブラリーで表すとこんなもんか.

 

日本にいるときのそういった,言わないけど大体分かり合えてるあの感じが欲しくて,

またそれは日本が日常的に共感が多いからこそ生まれた感覚でもあるのかなと.

会話している時に相手の言ったことを一回は受け止めると思う.

「確かに,そうなんだ!,そうだよねー」って.

 

別にアメリカがそうじゃないとか,共感することないていうわけじゃ無い.

普段の文化とは違う場所にいるからたぶんそうで.

ただ回数で言ったら日本が多いみたいな.

 

なんてことを今思ってるけど,昔は自分はあまりそうじゃなくて,

みんなで一緒にとか,これ面白いよねとか同意を求められることが苦手だった.

特に集団になると生まれる一人面白い奴がいるとみんなでそれを面白いと感じなきゃいけないゲームはすごく嫌いだった.俗にいう空気を読むってやつ?

感覚の共有まで求めるなよとか,なにこの無駄な時間とか思ってた.

 

数人でいる時に発生するノリ?みたいなのも嫌いだった.なに,みんな芸人でも目指してんのみたいな.

出る杭打たれないように合わせてるのを装ってたけど,内心はまじつまんねーてかんじだった.

 

そういうのに対して前向きになれたのは本当にここ数年だと思う.

会話を「言葉ゲーム」みたいに思えるようになってからかな.

その場にいる人が参加者で,言葉を使って面白くなろうみたいな.

 

話が飛んだ.

でもそういう「共感」の中に幸せがある気がして,

共感=幸せという単純な図式じゃなくて,共感のタイプを深掘りすると何か分かりそうで.

Back numberて恋愛の「共感」で売れてるんじゃないか.誰しもが感じる恋愛のシーンを言葉にするのが上手くて,「ああ,確かに舞い上がってたわ」,「そんなこともあったね」と感じれる.

日本で生活してこなかった人にback numberの曲はウケるんだろうか?

 

何が言いたかったんだっけ.

よく,日本の人は幸福度が低いとか言うけど,決してそんなことなくて,

毎日の生活の中に「共感」する場面がたくさんあって,

その共感できることは幸せの一つなんじゃないかなって.

 

幸せ=人生の成功みたいな図式のせいか,

そういう小さな出来事を見ずに大きなものを願ってしまうけど,

その小さな共感「が」いいとみんなが思えるようになったらいいんじゃないかな.

(11.6 NYからポートランドへ向かう飛行機の中にて)

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