「知識」,「文脈」

以前,ブログで夏休みに本を読んだけど全然賢くなった気がしない...と書いたがそのことについて読んだ本で思うところがあったので書き留めておきたい.

 

 

takur-books.hatenablog.com

僕は普段あまり本を読まなかったことから今年の夏休みを利用して, 興味のある分野,新しい分野についての本を読み漁ろうとした.空間系の本から言語人類学の本やデザインの本まで10冊以上に目は通したと思う.

でもいざ夏休みが終わりに差し掛かり振り返ってみると,「一体自分はどんなことを学べたのか」,「色々読んだはずが知識として残っているものはほとんどないじゃないか」ということを思うようになった.

一体,読み方がいけなかったのか?なぜ「知識」として定着した感じがしないのか?

その疑問に関することを「学びとはなにか(著:今井むつみ)」の一部分を引用して考えたい.

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スキーマが使えない学び

書いてあることが表面的には理解できても,スキーマがないと何を言っているのかわからない.それはドラマや映画に限らない.専門家に向けて書かれた文章は,その分野の専門的な知識を持たない人には理解することが難しい.理解が難しい理由にはもちろん,専門用語がわからないということもある.しかし,専門用語がすべて解説されていても,全体の論旨がわからないことも多い.これは,その専門分野での背景知識(その専門分野のスキーマ)が足りないため,書かれていないことの行間を補うことができないからなのだ.(今井むつみ,「学びとは何かー<探究人>になるために」,p22)

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なるほど,夏休みに読んだ本は普段触れない分野関係の本が多かった.特に本を読む習慣がない自分にとってはなおさらのこと.

授業でいきなり強化学習についての論文を読んで,理解しきれなかった経験があった.分からない数式や言葉について調べ尽くしても理解が及ばなかったのは,そこに書かれていない言説や通説(ある種その分野にとっては常識ともいわれるべき事象,いちいち説明しない部分)についての理解が不足していたなのかもしれない.

 

読んだ本は新書も含め,割とその分野での「導入部」のような内容が多かった.その分野周辺の本を10冊くらい読破することで,なんとなく分野背景,関連性が自分の中で構築され,もう一回読み直して初めて「理解」できるのかもしれない.

 

 

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)