日本について その2

前回に続き,

最近思うのは日本にある幸せみたいなものってなんだろうってこと.

うまく言葉にするのが難しいけど,それは「日常」,「共感」,「気遣い」のような気がしていて,

説明はできないんだけど,ふとした瞬間にああこれだよねって思う時がある.

 

例えば,音楽だと星野源やきのこ帝国の曲を聴いていて思う時がある.

全ての曲がそうじゃないけど,この二曲を聞いたときにはそう思った.

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

これって誰かと共有できるのかな...?笑

毎日生きていると日本の嫌なとこや悪いとこばかり目にしてしまうけど,ふと思う良いところを大事にしていきたいし,これからもその価値観を追求していきたい.

「日常」のような日本の良さってなんだろう?

一体それはどこにあるのか?

探して見つけて自分の手の中で,

手放さないよう留めておきたい.

 

こっから自分のこと.

帰国子女の自分がそれを感じられるのはなんでだろう?

たぶん年に何回か日本のおばあちゃん家に帰っていたことは無関係ではない.

子供は感受性豊かだからね.

帰国子女アイデンティティ問題はまたの機会に.

 

終わりにforbesの記事に載ってたジョン前田(日系アメリカ人)の言葉を引用して.

「確かに、海外では『君はここの人間ではない』と言われ、日本では『君は海外で育ったから』と言われることもあるでしょう。その代わり、2通りのものの見方ができるようになる。これは“素晴らしい呪い”で、そうした人は稀少性が高い『ミュータント(突然変異体)』ですよ」

 

優れたデザインは「不自由への共感」から生まれる | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

日本について その1

しばらく更新を疎かにしてました.

いろいろ普段考えていることがあっても,それを言語化してまとめるというのは意外とエネルギーのいるもの.

最近日本のことについて考えていた.ふと考え出したのは11月末にアメリカに行ってから.たぶんそこからちらほら.

その時メモとして残していたことを引用します.

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

何日かアメリカで過ごす中で日本のことを考えて,アメリカとはどうも違う日本的な幸せがあるんじゃないかと思うようになった.そもそも幸せに対する価値観は人によって違う訳で,それをいっちゃ話はおしまいな訳なんだけど,

アメリカにいる時にふと思ったのが,「共感」足りていないなって笑

何も言わなくても共通化されていることが多くて,暗にお互いのことを察しながらコミュニケーションが進行しているあの感じが欲しいなと.わかりあえたら強いみたいな.

数少ないボキャブラリーで表すとこんなもんか.

 

日本にいるときのそういった,言わないけど大体分かり合えてるあの感じが欲しくて,

またそれは日本が日常的に共感が多いからこそ生まれた感覚でもあるのかなと.

会話している時に相手の言ったことを一回は受け止めると思う.

「確かに,そうなんだ!,そうだよねー」って.

 

別にアメリカがそうじゃないとか,共感することないていうわけじゃ無い.

普段の文化とは違う場所にいるからたぶんそうで.

ただ回数で言ったら日本が多いみたいな.

 

なんてことを今思ってるけど,昔は自分はあまりそうじゃなくて,

みんなで一緒にとか,これ面白いよねとか同意を求められることが苦手だった.

特に集団になると生まれる一人面白い奴がいるとみんなでそれを面白いと感じなきゃいけないゲームはすごく嫌いだった.俗にいう空気を読むってやつ?

感覚の共有まで求めるなよとか,なにこの無駄な時間とか思ってた.

 

数人でいる時に発生するノリ?みたいなのも嫌いだった.なに,みんな芸人でも目指してんのみたいな.

出る杭打たれないように合わせてるのを装ってたけど,内心はまじつまんねーてかんじだった.

 

そういうのに対して前向きになれたのは本当にここ数年だと思う.

会話を「言葉ゲーム」みたいに思えるようになってからかな.

その場にいる人が参加者で,言葉を使って面白くなろうみたいな.

 

話が飛んだ.

でもそういう「共感」の中に幸せがある気がして,

共感=幸せという単純な図式じゃなくて,共感のタイプを深掘りすると何か分かりそうで.

Back numberて恋愛の「共感」で売れてるんじゃないか.誰しもが感じる恋愛のシーンを言葉にするのが上手くて,「ああ,確かに舞い上がってたわ」,「そんなこともあったね」と感じれる.

日本で生活してこなかった人にback numberの曲はウケるんだろうか?

 

何が言いたかったんだっけ.

よく,日本の人は幸福度が低いとか言うけど,決してそんなことなくて,

毎日の生活の中に「共感」する場面がたくさんあって,

その共感できることは幸せの一つなんじゃないかなって.

 

幸せ=人生の成功みたいな図式のせいか,

そういう小さな出来事を見ずに大きなものを願ってしまうけど,

その小さな共感「が」いいとみんなが思えるようになったらいいんじゃないかな.

(11.6 NYからポートランドへ向かう飛行機の中にて)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

知識の「体系化」とフィールドの重要性

前回書いた「知識」を得ることについての続き.

どうやって知識を獲得できるのか,について同じく「学びとは何か(著:今井むつみ)」からもうひとつ.

 

まずは自分の話から.

自分は日頃読む本や,分野の異なる授業などをとる一方で,

なかなかそれらで学んだことを生かせないのが勿体無いと感じていた.

例えば,

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

空間感覚には「相対位置」と「絶対位置」なるものがあって,ある地域にはモノを示す時に,「Aさんの左にあるコップ」ではなく,「Aさんの東にあるコップ」という「絶対方位」で表現する部族がいる.

またその民族は常に「絶対位置」を使って表現するために,「相対方位」を使って空間を切りとる人よりも,方向感覚(自分が向いている場所は東なのか?北なのか?)を保持している.

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

 

という「知識」がある.

でもこれの知識について,なんか面白い!と思うんだけど,すぐに何かに使えるというのが思いつくわけでもない.

 

他にも,デザイナーが考える「ふつう」をデザインする意味やA-Lifeのような人工生命モデルなど,なんでかは分かんないけどなんか面白そう.とは思う.

そんなエッセンスを毎日得たりするんだけど,

時間が経てばだんだん薄れていって,忘れて,いつのまにか自分の中から消えていたということもある.それがなんだか勿体なかった.

 

どうやったらこの「面白さ」を保持できるのか?これらの「知識」を自分のものにできないか?

 

その方法論について,「学びとは何か(著:今井むつみ)」の一部分を引用.

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

「生きた知識」と「死んだ知識」

認知心理学で知識について語るとき,「生きた知識」と「死んだ知識」という言い方をよくする.私たちの誰もが,遅くとも中学校から英語を学び,英語の知識を入試やTOEICなどのテストで試されてきた.(今井むつみ,「学びとは何かー<探究人>になるために」,p32)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

とし,

私たちは英語の不定冠詞の「a」と,定冠詞の「the」の違いは説明できるかもしれないが,実際に書いたり話したりするときにこれらを正しく使い分けられているのだろうか?

と投げかけている.

またその逆の例として,

日本語の助詞である「て」「に」「を」「は」について使い分けを説明するのは難しいが,日本語の母語話者はこれらを正しく使い分けられる.

と述べている.その理由として,

子どものときからずっと日常的に使用することで「て」「に」「を」「は」の使い方を体に覚えさせ,意識しなくても使い分けができるようになった.

ことを挙げている.

その後,知識とはなにかについての深掘りが続き,

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

(て」「に」「を」「は」の使い分けの話から)

つまり,その知識が体の一部となるのだ.知識はこのように体の一部になってこそ生きて使えるようになる,

(外国語習得の例から)

つまり,「頭で知っているだけの知識」は「使えない知識」,「体で覚えた知識」は「使える知識」と深く関わっていることがわかる.

(中略)

せっかく時間をかけて学ぶのなら,学んだ知識を「生きた知識」にしたい.ではどのように学べば,知識は「生きた知識」になるのだろうか.

「生きた知識」の分かりやすい例は,言語(母国語)の知識だ.子どもは母国語を習得し使えるようになるために,ことばを覚える.覚えたことばを,コミュニケーションのために使う.また,覚えたことば,さらに新しいことばを覚えるためにも使う.つまり,持っている知識が新しい知識を生むサイクルをつくっているのである.

(今井むつみ,「学びとは何かー<探究人>になるために」,p32-35)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

つまり,

「生きた知識(使える知識)」にするためには知識を体系化する必要がある.

また獲得した知識を使い,それを実践することで新しい「知識」を生むことができる.

 

ここで自分の話に戻るが,自分は,いわば知識を「体系化」したかったのかもしれない.そういう意味では例に挙げた「絶対位置」の話は,まだ知識になっておらず,記憶である.

 

知識の体系化にはなにが必要?どうやったら知識のサイクルを作れる?

それには知識を実践するための場(フィールド)が必要なのかもしれない.

フィールドを通して知識を使い,その場での相互作用から知識を体得し,また新しい知識を積み上げていけるのかもしれない.言語の習得が他社とのコミュニケーションで学ばれていくように.

 

ものづくり,始めますか.

 

「知識」,「文脈」

以前,ブログで夏休みに本を読んだけど全然賢くなった気がしない...と書いたがそのことについて読んだ本で思うところがあったので書き留めておきたい.

 

 

takur-books.hatenablog.com

僕は普段あまり本を読まなかったことから今年の夏休みを利用して, 興味のある分野,新しい分野についての本を読み漁ろうとした.空間系の本から言語人類学の本やデザインの本まで10冊以上に目は通したと思う.

でもいざ夏休みが終わりに差し掛かり振り返ってみると,「一体自分はどんなことを学べたのか」,「色々読んだはずが知識として残っているものはほとんどないじゃないか」ということを思うようになった.

一体,読み方がいけなかったのか?なぜ「知識」として定着した感じがしないのか?

その疑問に関することを「学びとはなにか(著:今井むつみ)」の一部分を引用して考えたい.

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

スキーマが使えない学び

書いてあることが表面的には理解できても,スキーマがないと何を言っているのかわからない.それはドラマや映画に限らない.専門家に向けて書かれた文章は,その分野の専門的な知識を持たない人には理解することが難しい.理解が難しい理由にはもちろん,専門用語がわからないということもある.しかし,専門用語がすべて解説されていても,全体の論旨がわからないことも多い.これは,その専門分野での背景知識(その専門分野のスキーマ)が足りないため,書かれていないことの行間を補うことができないからなのだ.(今井むつみ,「学びとは何かー<探究人>になるために」,p22)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

なるほど,夏休みに読んだ本は普段触れない分野関係の本が多かった.特に本を読む習慣がない自分にとってはなおさらのこと.

授業でいきなり強化学習についての論文を読んで,理解しきれなかった経験があった.分からない数式や言葉について調べ尽くしても理解が及ばなかったのは,そこに書かれていない言説や通説(ある種その分野にとっては常識ともいわれるべき事象,いちいち説明しない部分)についての理解が不足していたなのかもしれない.

 

読んだ本は新書も含め,割とその分野での「導入部」のような内容が多かった.その分野周辺の本を10冊くらい読破することで,なんとなく分野背景,関連性が自分の中で構築され,もう一回読み直して初めて「理解」できるのかもしれない.

 

 

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

 

 

情報の可視化とは

最近目にしている本で,やたらと情報を使ってそれをビジュアライズ(可視化)しようというテーマを見かける.情報源はSNS,GPS,パソコンのハードディスク...など様々.

それらが載っていた本を一度ここでまとめておきたい.

 

ビジュアル・コンプレキシティ ―情報パターンのマッピング

ビジュアル・コンプレキシティ ―情報パターンのマッピング

 

 

 

Generative Design Processingで切り拓く、デザインの新たな地平

Generative Design Processingで切り拓く、デザインの新たな地平

 

 

インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって

インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって

 

 

 

ビジュアライジング・データ ―Processingによる情報視覚化手法

ビジュアライジング・データ ―Processingによる情報視覚化手法

 

 

 

インターネットに繋がった高性能な携帯端末によって,情報がリアルタイムで収集しやすくなったり,個人が発信もする時代において,

集められた情報をどう「料理」するかが問われてくるのかもしれない.

読みきれなかった本たち

図書館で借りて期限内に読みきれなかった,または最後まで読了できなかった本たち

進捗に合わせて随時更新...

 

 

心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

 

 

数覚とは何か?―心が数を創り、操る仕組み

数覚とは何か?―心が数を創り、操る仕組み

 

 

 

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

空間の経験―身体から都市へ (ちくま学芸文庫)

 

 

 

場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)

場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)

 

 

 

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

 

 

 10.9 最近「情報,アート系」の本ばかり漁っていて,夏休みのように本を毎日少しずつ進めていく時間が取れていないのが悩み.アートの方面も探りながらもこれらの本を読む時間もしっかりと設けたい.

 

最近読んでいる情報Tec x...? の本たち

 

 

Generative Design-Processingで切り拓く、デザインの新たな地平

Generative Design-Processingで切り拓く、デザインの新たな地平

 

『Processing』で作ることのできるビジュアライゼーションの例,他の人の作品などが豊富に載っている.非常に多くのビジュアライズが載っていて,いつでも手元には置いておきたいバイブル.後半はコードも少し載っている.

 

FORM+CODE -デザイン/アート/建築における、かたちとコード

FORM+CODE -デザイン/アート/建築における、かたちとコード

 

 建築をコードによって記述するヒントが載っていそうな本.プログラミング記述によるデザインの例,GA(遺伝子アルゴリズム)なども少し載っている.「ジョン前田」を知ったのもこの本.ライノセラスグラスホッパーについては記述は無かった.

 

ビジュアル・コンプレキシティ ―情報パターンのマッピング

ビジュアル・コンプレキシティ ―情報パターンのマッピング

 

 情報→ビジュアル化に特化した本.様々な情報源(文学,音楽,軌跡...)などを可視化した例が多数.Generativeの後半のビジュアライズもいくつか同じものが載っていた.

 

作って動かすALife ―実装を通した人工生命モデル理論入門

作って動かすALife ―実装を通した人工生命モデル理論入門

 

 A-Lifeについての様々な実例がコードとともに載っている.

コードはPythonで実行可能.セルオートマトンからグレイスコットモデル,群衆,ボイドモデル,GAまで.発展系.

 

 

バイオビルダー ―合成生物学をはじめよう (Make: PROJECTS)

バイオビルダー ―合成生物学をはじめよう (Make: PROJECTS)

 

 合成生物学,細胞+書き換え遺伝子→合成生物.

遺伝子についての生物学情報や簡単な実験.合成するまでの手法や倫理問題の争点となった歴史の話も.

 

 

バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか。

バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか。

 

 前述の「合成生物学」とは少し観点が異なる.食や,生命をアートとして扱うとどうなるか.長谷川愛の作品も.

 

過去に読んでいた本

 

[普及版]ジェネラティブ・アート―Processingによる実践ガイド

[普及版]ジェネラティブ・アート―Processingによる実践ガイド

 

 

 

Processingをはじめよう 第2版 (Make: PROJECTS)

Processingをはじめよう 第2版 (Make: PROJECTS)